裏側の世界(3月6日。あと62日)

「よくこんなものを作ったもんだよ、人間は」

 VCA社の社員であり、VCA‐P開発スタッフの一人であり、VCA‐Pテストプレイヤーの一人である八木 董真は、目の前で構築されていく異世界を前にそう呟いた。

 色を持った世界に、自分の視覚以外の感覚が召喚される。自分の視覚の起点があるこの部屋、その窓を風が揺らす音も、埃っぽい空気の臭いも、普段通りにここにある。味覚や触覚はこの段階でははっきりとは分からないが、唾液に味を感じられないことは感じるし、握った手、その指先が自分の掌を圧迫するそのことも分かる。

 続いて、拘束されていた身体が解放される。歩こうとしても気持ちと感覚だけが空回りしていたそれまでと違い、今はちゃんと歩くことが出来る。歩みに伴い瞳に映る世界は変化し、耳は自らの足音を聞く。

 これで、読み込みは完了。この世界で人間が物理的に行くことの出来る場所は全て完成した。VCA社の新製品、VCA‐Pは、こうして創り出した架空世界にプレイヤー本人の情報を反映し、あたかもその架空世界にプレイヤー自身がいるかのような感覚を作る。

『八木君、テストを始めよう。まず、いつもの新ワールド確認用マニュアルの6番からだ』
「分かりました。今日はいつもより気張っていきましょうか。お披露目第一回から不具合が見つかっちゃ、笑い者になるどころじゃない」

 ・ ・ ・

 その確認作業をワールドの外から眺める男が3人。杖を突いた老人1人と、スーツ姿の中年の男2人。

「では、よろしく頼むぞ?」
「ええ、もちろん分かっております」

 そう簡単な締め括りの会話を終えて、老人は部屋を出て行く。VCA社がこのゲームポッドを開発するのに必要だった資金、その大部分を提供した企業グループ、西園寺グループの会長であるその老人の後ろ姿を見送ると、残った二人は示し合わせたわけでもなくやれやれと肩を竦めた。

「会長には、これが何なのか伏せてあるからな」
「お孫さんには気の毒だが、まあせいぜい頑張ってもらうとしよう」


◆異世界への招待(3月27日。あと41日)


 VCA‐Pの完成、そして第1弾ゲーム『仮想のモイラ』の完成。その話題は瞬く間に広まった。その話題の大きさは、『仮想のモイラ』お披露目の公開エキシビション参加者募集広告が雑誌に掲載されたその翌日には定員を超える応募が届いたことから分かる。結果参加権が誰に渡るかは抽選で決められることとなり、倍率100倍以上の抽選結果に多くの人間が期待と不安を募らせる。

 多数の応募者には、それぞれに多数の思惑があった。これまでに無かった新感覚のゲームをいち早く体験したいというゲーマー達。強敵の出現に対応策を考えたいゲームメーカー等の同業者。VCA‐Pに用いられている技術を転用したい、医療、教育、果ては軍事まで広い分野の関係者達。VCA‐Pの完成は、ゲーム業界のみならず全ての産業に革命を起こす可能性を人々に見せつけたのだった。

 エキシビション参加者は、一部を除き一般の応募から選ばれる。除かれる『一部』というのは、VCA社への資金提供などを行った企業の関係者や、各種ゲームの大会などで有名な者など。彼ら『優先参加者』は今後、VCA‐Pについて体験談を語り広める広告塔のような役目を持つのだ。

 一方、超高倍率の一般募集者は数こそ優先参加者よりずっと多いが、飾りのような存在だと考えられている。各々のブログや口コミなどで良い評判が伝わればラッキー、という程度だろう。それが大方の見解だった。

「じつはそんなこと、ないんだケドね」

 彼女は一人、数日前にパソコンへ送られてきたメールをサイド見ながら、ニヤリと口元に笑みを浮かべた。メール文面の最後には、エキシビション参加権当選の文字と、当選者ID。定員数と同じ番号のIDは、彼女が一番最後の当選決定者であることを告げている。

 まだ締め切られてすらいない募集の、当選者ID。


◆秘密、機密、内密(4月17日。あと20日)

「ふむ…」

 説明書というより辞書のようなそれをテーブルの上に置くと、西園寺 雅彦は頭の中を整理する。たった今読み終えたばかりのVCA‐Pについての説明と、『仮想のモイラ』のシステムについて。参加決定者に一昨日発送されたそれは、優先参加者である雅彦には2週間早く届けられていたが。しかし「公平さに欠ける」と、彼は今日までそれを開封しなかったのだ。一般参加者からさらにもう1日遅れて開封したのは、VCA社への最大の協力者である雅彦の祖父が会長を務める企業の関係者から、人づてに幾らかの情報は聞いてしまっていたこと、それについても申し訳ないと思っているためか。

 VCA‐Pは、VCA社が開発した新型の体感ゲームポッドである。それはポッドに乗り込んだ人物の身長、体重、瞳の色、髪の色、筋力など全てのデータを取り込み、ゲーム世界内に全く同じ人物を作り出す。つまり、プレイヤーはその自分と全く同じ体のキャラクターで、実際にそのゲーム世界内にいるかのように冒険が出来るようになる。


 このVCA‐Pを用いて行われるゲーム『仮想のモイラ』は、運営側が設定したゲーム世界内で、限られたアイテムを駆使し、ゲーム世界内を徘徊する『妖魔』と呼ばれる敵から自分の身を守りつつ、ゲームクリアの条件となる『鍵』を探すゲームである。

 設定できるレギュレーションは様々。全員が個別に鍵を探す『個人戦』、幾つかのチームに分かれて探す『グループ戦』、誰かがランダムで最初から鍵を所持している『ホルダー』となり、鍵の奪い合いに生き残ることが目的となる『ホルダー戦』など。今回のエキシビションでは『個人戦』が採用され、ゲーム世界は3階建ての広大な建造物である。マップは簡易なものだけが説明書に記されていた。

 雅彦はあまりゲーム自体に興味は無かったが、祖父がもぎ取ってきた権利を辞退して面子を潰すわけにもいかず、またVCA‐P技術はゲーム以外の分野にも応用が可能そうであることに興味を惹かれ、優先参加権の行使を決めた。

 優先参加者は広告塔、残りは飾り。そうではないかと雅彦も考えていたが、しかし事実は。

『お孫さんには気の毒だが』

 裏に隠されている真意について、今はまだ、それを隠蔽している当人たち以外には気付きようがなかったのだった。


◆リアルとバーチャル(あと0日)

 エキシビション当日。その会場には選ばれた参加者達と、彼らの活躍を、VCA‐Pの映像を、『仮想のモイラ』の世界を見たい観客達が集まっていた。観客達の半数はVCA‐Pの設置されているメインアリーナに入場し、開会式の様子は生で、ゲームの様子は大型ビジョンで観賞する。残りの半数は幾つかの部屋に分けられ、残念ながら開会式からゲームまで全てを中継で見る。

 参加権抽選に当選した参加者達は、開会式を終え少しの休憩を挟んだ後、VCA‐Pに搭乗する。おもちゃの入ったカプセルのようなVCA‐Pの一部が開き、中に設置されている座席に深く座る。VCA社の専門スタッフにより両手首や肘の裏、足、胸などにケーブルが繋がれ、頭にも同じく多くのケーブルが繋がれたメットを被せられ、バンドでしっかりと固定される。

 司会者の開始の合図と共に閉じられるVCA‐Pのハッチ。外の音や光は全て遮断され、ポッドの動作音だけが聞こえる。

 少しして、眼前に光のスクリーンが展開する。名前とIDの確認、ゲーム内での名前の設定、アイテムの選択などを、視線と思考を用いて行う。

 設定完了。参加者全てのそれが終了するまで待つように指示が表示され、数分もしないうちに消える。全員のスタンバイが完了。再び少しの静寂、暗闇。

 ふ、と消える自分の感覚。自分の意識だけがふわりと宙に浮いたような感覚。先まで触れていた座席の感覚も、見えていた暗闇も、感じていたシートの匂いも、今は感じられず。

 白い光。真っ白い空間。そこに、漆黒の線が幾つも幾つも引かれていく。線は面を構成し、面は空間を構成していく。構成された空間には、順次色が乗せられて。

 形の完成した世界に、視覚以外の感覚が喚ばれていく。聴覚が戻る。嗅覚が戻る。味覚も触覚も戻る。そして全ての感覚が戻ってきたのを感じたのと同時に、身体の拘束が解かれる。

 読み込み完了。ゲームは開始された。

 ・ ・ ・


 妖魔の襲撃を避けつつ『鍵』を探す。『仮想のモイラ』のルールを頭の中で思い出しつつ、雅彦はゲーム世界を歩いていた。

 これまでに何人かの参加者と会ったが、皆架空世界の出来栄えに驚き、観光気分ではしゃいでいた。勝利を得るために他を出し抜こうとする者は、今のところ見当たらない。

 それも仕方ない。雅彦はそう思う。自分自身も今、彼らと同じ心境だ。この空間にいて、驚かない者などいないだろう。現実世界と変わることのない空間。本当はこれはゲームの世界ではありませんでした、ポッド内で眠らせたあなた達を別の場所に運んだのですと言われればそうだろうと思ってしまう、それほどに再現された世界。

 と、聞こえてくる悲鳴。しかし必死なものではなく、例えるなら鬼ごっこで鬼に追いかけられている子供のような声。その方向へ行ってみると、雅彦の予想通り、鉄球を持った巨大な化け物から逃げている参加者の姿があった。初めて遭遇する、妖魔の姿。

 この世界はゲーム。その油断があったのだろう。いや。まさか、こんなことが起ころうとは誰も思うまい。妖魔に追いつかれ、腕を掴まれる参加者の男。次の瞬間。

 ゴキ、メキリ。そんな嫌な音を立てて、男の腕が胴から引き千切られた。

 悲鳴。血。恐怖。痛みに苦しみ倒れこむ男に、妖魔は手に持つ鉄球を振り上げる。「やめろ」という男の言葉を聞きとどけることもせず叩きつけられた巨大な鉄塊は、男の頭と胸の部分をまるでトマトを潰すように砕き潰し、廊下には血液やら骨の欠片、脳やその他よく分からないものが勢いよく飛び散る。


 石を投げ込まれた水面のように、広がる恐怖と混乱の波。その状況に恐怖を覚えた者は幸運だった。すぐさまそこから逃げ出すことが出来た。その状況に混乱した者は不幸だった。目の前の事件を頭の中で理解することが出来ず思考停止している間に、次、また次の鉄球の被害者となった。あっという間に廊下は阿鼻叫喚の地獄となる。かつて人間を構成していた外側や内側が散乱し、そこに何人分あるのかもう分からない。

 そんなことを考えているうちに。雅彦の目の前にも、妖魔が迫る。

 身体が、動かない。

「あんたボーっとしてんじゃないよぉ!!」

 突然の横からの衝撃に、雅彦は廊下から繋がる部屋の1つに押し込まれる。頭を床にぶつけたおかげか、やっと回り始める思考。雅彦の腰に飛びついて彼を救ったのは、高校の制服らしい服を着た女性。

「あんた何やってんのさ、妖魔が目の前に来てたのに‥‥って、もしかしてあんた、西園寺 雅彦?」

 問いにそうだと答え、瞬時に何故自分のことを彼女が知っているのかと不思議に思う。いや、しかし、知っていてもおかしくはないのか。一応、多少は雅彦も有名人である。

「厄介なのを助けるために飛び込んじゃったなぁ‥‥不適格者じゃん」
「……何?」
「何でもない。ほら、今はまずこっから逃げることを考えるの。そこに鉄球お化けがまだいるんだよ」


 立ち上がり、部屋の中を見回す彼女。廊下への出口は二つ。ちょうど、学校の教室のような配置。

 一方におびき寄せて、逃げるか。

「‥‥よし」

 行動開始。


 多くの疑問はある。ゲームといえば普通、「失敗したぁ、ゲームオーバーか」で終わるもののはずだ。あんな、恐怖や痛み、苦しみを味わうことなど無いはずだ。殺された彼らはどうなったのか。無事現実に戻ったのか。それともポッド内で、無残に潰れているのだろうか。

 渡されていた説明書には、妖魔にやられてゲームオーバーになる者は光の粒子になって消えていくとあった。だが、実際には死体はそこにある。これは、何らかの不具合と見るべきだろう。

 妖魔はこいつ一体だけではない。おそらくゲーム世界内全てで起こっているであろうこの事態の被害者を一人でも減らすため、注意を促さなければ。そして可能な限り皆で集まり、不具合の解消とゲーム世界からの脱出が叶うまで、妖魔から身を守らなければ。

 自身の全速力を持って、雅彦は女性と共にその部屋を脱出した。



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